善意のエコシステム
電車で座っていると老夫婦がやってきた
私の隣だけが空いていたので席を譲ることを申し出たが、すぐに降りるからと丁寧に辞退された
老夫婦は電車を降りるときに私に「ありがとうございます」といって降りていった、しかも二人ともだ
私は結局席を譲っていないので何もしていないのだが、こんなに丁寧にお礼を言われるとこそばゆかった
私は目に見える範囲、手に負える範囲、確実に助けが必要とされていると推測される状況では何かしらの行動をとっているつもりだ
西日本の豪雨に対する募金などもその一環だ
ここで人間の性かもしれないが、余計な欲求が出てくる
「私はこんなにいいことをしたんだ。誰か私のことを認めてくれ。」という自己承認欲求だ
Youtuberのヒカキンが自身も募金を行い募金を呼びかけて話題になっていたが、特に影響力のない人間が「私は募金をした。偉いでしょう?」と言い出すと少しばかり周りの人は偽善者だと騒ぎ出すのではないだろうか
だが、他人にいい人だと思われたいという動機から募金やボランティアを行うことは悪いことなのだろうか
動機がどうあれ結果として誰かの役にたったのならそれでいいのではないか
偽善者であってもその人は実際に行動を起こしているのだから、誰かにとっての救世主だ
何もしていない人がとやかく言う筋合いはないはずである
この理論を突き詰めていくと「信頼」というポイント制度がつくれるような気がする
現在中国などではサービスを利用する際にその人が今まで信頼を裏切るようなことをしてきたことがないかなどが重要視されるそうだ
この発展系である
普段からよい行いをしている人はサービスや優待を受けやすくなるというエコシステムをITによってつくりだすのである
例えば先の例であれば募金やボランティア活動のたびにその貢献度に対してポイントが加算されていき、ポイントの高い人は日常の公共サービスで優待を受けられるといった形だ
偽善者だろうとなんだろうと誰に対しても善行をおこなうインセンティブが働くことになる
世の中はいい人に溢れ、どんな人も助け合う素晴らしい共生社会が実現する
ここまで読んで違和感がある方は「善行」の定義についてモヤモヤしているのではないだろうか
相手が求めていないことをこちらが「善行」だと思って「やってあげる」というのはとんでもないお節介であり、相手にとってはむしろ迷惑になることだってある
私はこの「やってあげる」で非常に痛い目を見たことがあるため非常に敏感である
だからこのブログの最初に書いたように「私は目に見える範囲、手に負える範囲、確実に助けが必要とされていると推測される状況では何かしらの行動をとっているつもりだ」となるのだ
「善行」が本当に「善行」であるかどうかはその行為を受ける
側が本当にその行為を受けて嬉しかったかどうかがわかるまではわからない
そのため、「善行」を実施することはそう簡単ではない
だが、そのエコシステムが「善行」を受ける側の本当のニーズを詳らかにしたらどうなるだろうか
ニーズが可視化され、それを行うことがほぼ間違えなく「善行」になるとしたら?
BigData/AIによるデータ分析はいつかそんな世界すら可能にするかもしれない