幸せになる。
平成最後の夏である。
平成最後の夏という大義名分をもってしてプライベートの充実を画策、その第一弾で台湾に2泊3日で旅行にいってきた。
気のとても合う大学時代の友人たちとの旅行は筆舌に尽くしがたい楽しさがある。旅行終わりの虚無感もそれに伴い膨れ上がってしまうが。
社会人3年目にもなるとさすがに一緒にどこかに出かけるメンバーは限られてくるが、その分、そのメンバーとの関係性は非常に深い。中学、高校、大学とそれぞれのコミュニティでそれぞれのメンバーがいて、私はかなり恵まれた人間関係を送っているという自負がある。
平成最後の夏も楽しみな予定であふれている。私は幸せ者だ。
一方、考えなくてはならないこともでてきた。
「結婚」だ
私の気の合うメンバーからついに婚約した者が現れた。他の人のFacebookの報告などはもちろんあったがここまで身近な報告ははじめてだったので、重みが違う。
私が拠り所としているこのメンバーもいずれ誰かと結婚し、何者にも変えがたい家族をそのパートナーと築いていくことになる
そうなった時、自ずと友人との予定という優先順位は下げざるをえないはずだ
台湾から帰る飛行機で私とメンバーの一人(男)とはこんな会話をしていた
「仲の良い友人が結婚したということは、その人は友人との予定の優先順位は確実に下がる。下げざるを得ない。ましてや子供ができたら飲み会ですら参加するのは難しいだろう。そして、気兼ねなく遊べる友人はいなくなっていく。」
そう考えると人として、どうしても、どこかで結婚という選択を入れないことには、孤独になってしまうのだろうか
ここまでいくと、そんな打算的な考え方で結婚をとらえるべきなのだろうか、となってくるが。。
打算的に生きるか、情熱的に生きるか、選択肢は無数にあるようだ