将来本を書くためのネタ帳

93年生まれ、現在ITの営業。 将来、自己満足で本を出したい。興味分野は、政治(公共性)/経済/国際協力/美術/ITなど。政治とIT、政治と美術など組み合わせて考えると面白いのでは?

考えるアートと価値主義

 

Twitterで呼びかけたが20:30からしか飲みの誘いが調整できなかったとある金曜日に

私は落合陽一さんの個展「山紫水明∽事事無碍∽計算機自然」にいき、その後に国立新美術館で開催されていた「ルーブル展」へいった。贅沢な金曜日である。

だが、私のその日の総括をするなら「落合陽一さんの個展の意味が理解できなかったので、わかるアートのあるルーブル展にいって気を休めた」になる

落合陽一さんの思想は今いくつか出ている書籍を読まないと難解すぎて私には理解できなかった。(Twitterでみると賞賛している人が沢山いたが皆しっかりとその思想を理解した上での賞賛なのだろうか)

 

西洋美術史を紐解くと19世紀、特に20世紀に入って以降の潮流/派閥の多様化は目をみはるものがある

20世紀前半のダダイズムキュビズムなどからもはや背景の知識がなければ絵そのものの鑑賞だけではその価値を図るのが難しい

20世紀後半のコンセプチュアルアートなどになるともはや視覚的な印象から何かを感じるなどとはもうかけ離れた世界だ

落合さんの個展も知識や理解力がないともはや何がどうすごく、どう感動してよいのかが正直わからないものがある。コンセプチュアルアートのさらに先のような印象だ。(しっかりと理解されている方はこの位置付けが間違っているという指摘があるかもしれないが、私は理解していないのでそこはご容赦願いたい)

現代に近づくにつれてモチーフも表現方法も多様化して難しくなっていく、どう価値付られていくのだろうか

 

佐藤航陽さんの「お金2.0」を読むとあらゆる価値がテクノロジーによって分散化していく話がある。例えば、ブロックチェーン技術による仮想通過は中央集権を排した新しい貨幣の形を体現している。

貨幣以外にもテクノロジーによって価値が分散化されていく未来にアートはどんな形をなしているのだろうか

19世紀まではフランスにおける、王立アカデミーのように確立された権威とそれに対抗する印象派などわかりやすい構図があった。しかし、今は様々な人が様々な派閥に属し様々な表現技法で作品をつくっている。それがさらに価値が分散していった場合にはどうなるのだろうか。今以上に難解なアートが出てきては一定の人々に評価されていくのだろうか。

 

 

 

※追記

資本主義が崩れゆく中でアートにどう影響を与えるのかという記事を書きたかったができなかった。なぜなら資本主義が今までのアートにどう影響を与えたかについての議論ができていないからだ。例えば、資本主義のこういう仕組みのときアートはこうだった、社会主義のときはこうだった、では、新しい価値主義の時代にはこの仕組みによってこう影響が与えられるはずとの論調になるはず。