将来本を書くためのネタ帳

93年生まれ、現在ITの営業。 将来、自己満足で本を出したい。興味分野は、政治(公共性)/経済/国際協力/美術/ITなど。政治とIT、政治と美術など組み合わせて考えると面白いのでは?

熱狂余って袋叩き

 

ロシアW杯日本代表戦とても面白かった

正直サッカーなんて普段は見ないいわゆるミーハーの男なのだがなんとなく初戦をみたら面白くベルギー戦以外は全部みた

ただ、ベルギー戦は平日のど真ん中の夜中という時間的に無理だった

※次の日の営業先のお客様はこちらの説明中に眠っていらっしゃった。営業先主体のディスカッション形式にしたらこっちの世界に帰って来た

 

そんなW杯に関連して非常に私個人として不快だったのだが選手をめちゃくちゃに叩くSNS上の騒ぎだ

たしか2戦目くらいで日本のGKがパンチングした球が相手に当たってゴールするといった場面があったがその時の叩き方たるやすごかった、ネット上の罵声の嵐

プロとしてパンチングは悪手だったかもしれないがなぜあのGKはあそこまで一般のサポーターに叩かれなくてはならなかったのだろうか

ケイスケホンダにしてもそうだ。偉そうだからなのかなんなのかわからないがとにかく叩く人は湧いて出るほどいる

いったい何の恨みがあって彼らをそこまで叩くのだろうか

「サポーター」とはなんなのだろうか

熱狂的に応援している人だから自分の信条に見合わないプレーや人間性をもった選手をみつけたら袋叩きにしてよいのだろうか

 

ちょうどなにかのテレビでやっていたがかつての日本代表のサッカー選手がW杯後に日本の空港にかえってきたら熱狂的なサポーターに水をかけられたそうだ

そのサポーターは何をもってしてその行為が許されるのだろうか

 

 

今の世の中はSNSで少し目立つことをしている人がいると、拡散され、寄ってたかってその人をこれでもかと袋叩きにする

たぶん一人一人の意識としてはみんなが言っているし、自分も正しいことを言っている認識だから特に罪悪感もないのだろう

だが、正直、私としては異常だと思う

みんなが言っていれば自分の行為は正当化できるのだろうか

自分が思う正義に則っていればその行為は正しいものと考えてよいのだろうか

 

どういう背景があってこのような袋叩きにつながっているのかわからないが

私がさきにあげたような仮説が正しいとすればナチズムのような大衆迎合の型崩れのようなものではないだろうか

ナチスの時代はゲッペルスなどが活躍して同一性と正当性の幻想を国をあげて創り出していったが

今の時代ではSNS上で異常な個々人の上っ面の正義感が他の人と繋がり、同一性/正当性を担保されたような気になるのだろうか

 

 

私情によった記事になったが、考えるべきポイントではあると思う

個人を袋叩きにする事象は許されるべきかどうか、