男子、三日会わざれば刮目して見よ
私が大学生のときに自分を代弁しているのかと思い、深く共感した社会学者に古市憲寿さんがいる
「絶望の国の幸福な若者たち」などで有名で、今ではコメンテーターとしてテレビや雑誌など媒体を選ばず色々なところでお見かけする
そんな古市さんが文學界に「平成くん、さようなら」という小説を寄稿していた
ざっくりとあらすじを言うなれば、平成の終わりとともに安楽死によってこの世をさろうとする「平成くん」を平成くんの彼女の視点から描写した小説だ
ここから小説の中身も少し触れるので気をつけてほしい(この記事が誰かの目にとまるのは投稿してからかなり先になる可能性が高く杞憂かもしれないが)
小説そのものに対する感想というよりは、最後アレクサになる平成くんが気になった
様々なメディアやコミュニケーションツールに蓄積したテキストデータから人格と発言を分析し、問いかけに対して答えを返すというAI/DeepLearing活用した技術だ
この話は実はこの小説に限らず話題に上ることが多いのだ
自分と同じ(とされる)人格がネット上に/デジタルに再現される
アバターを想像するとわかりやすいかもしれない
ネット上の世界に自分がもう一人いる感覚だろう
以前投稿した記事にも記載した祖父の病気の話にも適用できる話かもしれない
例えば現実世界の私が急に事故にあって植物状態になってしまったとして、私はどうしてほしいかをまだ家族には伝えていないため、家族はおそらく困るはずだ
私の意思を尊重するべきだが、植物状態になってしまい意思を確認することができない
表情こそ変わらないが実は非常に苦しんでいると医者からきく
そして、目下の医療レベルでは回復する見込みもない
どうするのが正しいか、家族でも意見はわれる
その際に、仮にネット上に私の人格が再現されていたとすれば、ネット上の私に問いかけてみれば、きっと考えや意思を示してくれるはずだ
だが、私はそう簡単ではないと思っている
人は経験をして考えも捉え方も変わる
先ほどのケースであれば、事故と死に直面するという経験によってその人の考え方は少なからず変わるはずなのだ
もちろん経験していない上で、誰かの経験(小説や映画なども含む)で追体験をしある程度の想像して結果を出すことはできても、実際に自分が経験した際にそれと同じ結果を出す保証などどこにもないのだ
もっと身近なケースで考えてみればよりわかるはずだ
中学生のときと大学生のときの人間関係の考え方は同じだろうか
様々な経験を経て、学び、変わってはいないだろうか
社会人1年目と3年目のときの仕事に対する考え方は同じだろうか
こんな仕事やっていられない、というネガティブなイメージからある程度仕事がわかり成功体験も重ねてポジティブなイメージに切り替わってはいないだろうか
これがデジタルに再現される人格の盲点だと思う。
あくまで過去の考えをベースに学習したに過ぎない。
では、どのようにしてこの事故のケースに対して解決策を見出すのか
正直、そこに対しては私は答えを今時点持ち合わせていない
また改めて考えるべきテーマなのだろう