将来本を書くためのネタ帳

93年生まれ、現在ITの営業。 将来、自己満足で本を出したい。興味分野は、政治(公共性)/経済/国際協力/美術/ITなど。政治とIT、政治と美術など組み合わせて考えると面白いのでは?

男子、三日会わざれば刮目して見よ

 

私が大学生のときに自分を代弁しているのかと思い、深く共感した社会学者に古市憲寿さんがいる

「絶望の国の幸福な若者たち」などで有名で、今ではコメンテーターとしてテレビや雑誌など媒体を選ばず色々なところでお見かけする

そんな古市さんが文學界に「平成くん、さようなら」という小説を寄稿していた

ざっくりとあらすじを言うなれば、平成の終わりとともに安楽死によってこの世をさろうとする「平成くん」を平成くんの彼女の視点から描写した小説だ

 

 

ここから小説の中身も少し触れるので気をつけてほしい(この記事が誰かの目にとまるのは投稿してからかなり先になる可能性が高く杞憂かもしれないが)

 

小説そのものに対する感想というよりは、最後アレクサになる平成くんが気になった

様々なメディアやコミュニケーションツールに蓄積したテキストデータから人格と発言を分析し、問いかけに対して答えを返すというAI/DeepLearing活用した技術だ

この話は実はこの小説に限らず話題に上ることが多いのだ

 

自分と同じ(とされる)人格がネット上に/デジタルに再現される

アバターを想像するとわかりやすいかもしれない

ネット上の世界に自分がもう一人いる感覚だろう

 

以前投稿した記事にも記載した祖父の病気の話にも適用できる話かもしれない

例えば現実世界の私が急に事故にあって植物状態になってしまったとして、私はどうしてほしいかをまだ家族には伝えていないため、家族はおそらく困るはずだ

私の意思を尊重するべきだが、植物状態になってしまい意思を確認することができない

表情こそ変わらないが実は非常に苦しんでいると医者からきく

そして、目下の医療レベルでは回復する見込みもない

どうするのが正しいか、家族でも意見はわれる

 

その際に、仮にネット上に私の人格が再現されていたとすれば、ネット上の私に問いかけてみれば、きっと考えや意思を示してくれるはずだ

 

 

だが、私はそう簡単ではないと思っている

人は経験をして考えも捉え方も変わる

先ほどのケースであれば、事故と死に直面するという経験によってその人の考え方は少なからず変わるはずなのだ

もちろん経験していない上で、誰かの経験(小説や映画なども含む)で追体験をしある程度の想像して結果を出すことはできても、実際に自分が経験した際にそれと同じ結果を出す保証などどこにもないのだ

 

もっと身近なケースで考えてみればよりわかるはずだ

中学生のときと大学生のときの人間関係の考え方は同じだろうか

様々な経験を経て、学び、変わってはいないだろうか

社会人1年目と3年目のときの仕事に対する考え方は同じだろうか

こんな仕事やっていられない、というネガティブなイメージからある程度仕事がわかり成功体験も重ねてポジティブなイメージに切り替わってはいないだろうか

 

これがデジタルに再現される人格の盲点だと思う。

あくまで過去の考えをベースに学習したに過ぎない。

 

では、どのようにしてこの事故のケースに対して解決策を見出すのか

正直、そこに対しては私は答えを今時点持ち合わせていない

また改めて考えるべきテーマなのだろう

鎮魂のリゾート地、陽気な観光客

夏季休暇を使ってサイパンに旅行へいった

有数のリゾート地ということで透明度の高い海や大自然が魅力的だった

数々のアウトドアアクティビティの予約を入れて4日間の行程すべてを無事に終えて日本に帰国した

 

私がこの旅行で一つ、どうしても気になったポイントがあった

バイクアドベンチャーというサイクリングツアーの際に「バンザイクリフ」というスポットに連れて行かれた

ツアーの参加者はすべて日本人で家族4人と私たち含む若めの2人組が3組の計12人で、ガイドの現地アメリカ人が2人がいた

 

 

バンザイクリフ」は背景を知らなければ、ただの景色のよい絶景スポットだ

だが、実際にその場に行けば数々の慰霊碑が立っており、日本語での平和祈願の石碑もある

この場がいったいどういう場だったのかは、ある程度は察しがつくはずだ

なのに、驚くほどそういった背景に思いをはせることもなく、皆が一様に陽気にピースサインをして写真をとっていた

異様だった

私以外に誰か違和感を持つ人がいないか探したが、特にいなかった

 

その後アメリカ人ガイドが「It's not time to Banzai Jump!OK??」と陽気な声で軽い感じで冗談を飛ばしていた

周りは皆笑っていた

 

 

 

とてもではないが信じられなかった

場の空気を壊してまで指摘することもないと思い、特に何も言わなかったがもやもやして仕方がないため記事に起こした

 

 

この話に結論やオチはない

ただ、とにかく、信じられなかった話として印象強かったので書き残している

 

私が「きけ わだつみのこえ」などを読んでいたから敏感なだけなのだろうか

 

病院のベットの上の真実

 

私の祖父が入院した

熱中症から肺炎を起こし今では食事もできない状態になってしまった

病院にいくと祖父の骨の形がそのまま浮き出ているのではないかと思うほど、痩せた姿になっていた

今は食べ物を飲み込むことができず点滴で栄養を補給している

 

 

今、家族には選択肢が二つある

・点滴のままリハビリを続け食べ物を飲み込めるようにする

・鼻から胃に直接栄養を取り込めるようにする

後者については実はかなり倫理的な問題として議論になるポイントだが、今回はここについては触れない

私と家族の何人かは基本的に「本人が望む方針に従う」というスタンスだ

祖父が前者をとるなら前者の実現にむけて応援するというスタンスだ

 

だが、上記には問題がある

祖父には感情の起伏があり(軽い認知症の兆候もあるため)祖父が語ったことが「本当に本人の意思」といえるかどうかがわからないのだ

実際に聞くタイミングによって上記の二つの選択肢のどちらを選ぶかは変わる

 

そうすると祖父以外の家族で2つの選択肢を協議しなくてはならないのだ

意見は分かれ、なかなか結論にたどり着かない、それがいまの現状である

私は祖父の件に関しては基本的に母や叔母や伯父の意見が尊重されるべきであり、私は前面にでるべきではないと考え身を引いているため、意思決定には参加していない

 

 

 

いつか私が自分の両親が同じような状況になったときどう判断するのだろうか

このようなこともあったので母親からは現時点での本人の意思を教えてもらったが、それはいつまで有効なものなのだろうか

例えば15年後にも同じ意見をもっているとは言い切れないはずだ

 

テクノロジーはこういった問題を解決してくれるのではないだろうか

その人の行動パターンなどから学習をすすめ、ある時点における選択をその人であればどのくらいの確度でどちらを選ぶのかをきっと見つけてくれるのではないかと私は考えている

病院のベッドの上で眠る祖父の本当の意思も微妙な挙動や入院前の言動から推測できるのではないかと私は考えているのだ

 

 

怒っている上司のKPIは私の想像のそれとは異なるかもしれない

 

IT営業としてBIやBA系を担当している身としては、企業のこんな課題によく直面する

現状をもっと可視化したい、可視化した上で深掘りの分析を行いたい、その分析結果から業務を最適化したい

とまあこんな流れだ。特にマーケティング領域だとイメージがしやすいのではないだろうか

 

こんな営業を毎日続けながら最近このことはもう少し自分日々の営業活動にも言えることなんじゃないかと思った、特に一点目の現状を可視化する点

 

 

私は入社3年目でまだまだひよっこだがある程度周りの評価/信頼を得られるようになってきた

だが、克服できていないのが上司からの評価/信頼だ

この領域が全く整理できていないのだ。一緒に仕事をする横の部署の方からの評価は高まってきているのに、上司からの評価/信頼が全く改善されない

 

 

この状況はおそらく他の方にもあるのではないだろうか

「誰かには評価されるようになってきているのに、誰かにはずっと評価されない。きっと私のことが嫌いなのだ、嫌なやつだ」や

「もうダメだ。上司に全く評価されていないからこのまま飛ばされるかもしれない」など

私は後者が近い。どこか希望しない部署に飛ばされる恐怖をかなり抱いている

なので、状況を必死に整理した

 

私には仕事をする上で三つのステークホルダーがいる

①お客様

②一緒に営業を行う横の部署の人

③上司

さきほど書いた状況を整理すると②についてはかなりの評価/信頼を得られているが、③についての評価があまりあがらないこととなる

①については②に近く、ある程度評価してもらえるようになった

 

この状況をさらに整理するとKPI(期待値)が異なることに気付いた

①自分の課題にあったベストなソリューションを持ってくること

②個々の案件について戦略的に案件を進められること、決めたことをスピーディ/丁寧に行えること

③案件の総合計としての数字

これらをよくみると全く違う軸で評価されていることがわかる

私が②で評価されるのはかなり夜遅くなっても指示されたことは当日中に確実に実施するからだ

①についても②の方と協力することでお客様ニーズに近いものにだんだんと近づけていくことができている

だが、①②と③は全くの別物だ。個々の案件をどのように丁寧に対応しているかは評価対象ではなく、それらの積み重ねとしての案件の数字の総合計なのだ

 

人によっては上司も①、②の詳細まで見るべきだというコメントもあるかもしれないが、正直それはワークロード的に現実的では無いだろう

そのため、私は上記のKPIでみられていることを意識して行動し、期待にそう必要があるのだ

 

 

 

ちょっとした気付きだが、非常に重要だと思うため記事におこした

仕事の流儀ではないがこういった小さな気づきが今後の仕事の進め方をよりプロフェッショナルに近づけていけるのではないだろうか

 

 

 

君とはもう話したくない。だって、スコアが低いから。

 

人間関係をつくるとき、あなたは何を考えて人間関係をつくるだろうか

 

小学校から高校くらいまではとにかく巡り合わせの世界で、一緒のクラス、一緒の部活になった人たちを中心に偶然的な人間関係ができていく

だが、大学を過ぎるとわりと自分の意思が反映された人間関係になっていく

自分の興味のある授業で意外と気が合った人、自分の興味のある且つ空気の合うサークルでの仲のいいメンバー、など恣意的だ

社会人になるとわりとうわべな人間関係が増えるが、それ以外はたいてい基本的に今までの人間関係の中で進んでいくだろう

 

気があうメンバーと半定期的に遊ぶ、そんなゆるいつながりの人間関係が今の主流なのではないだろうか

 

 

だが、そういった気軽な人間関係作りも変わってくるかもしれない

 

 

中国の巨大企業アリババは「芝麻信用」という利用者の格付けサービスをAIによって行う

日本における貸付などの信用情報でもJ.scoreというAIの格付けサービスがあるが、意味合いが異なる

なぜなら、見ているデータが異なるからだ

日本で見られているデータは、おそらく、基本的な個人情報データで氏名、年齢、電話番号、年収などといった内容だが

中国の「芝麻信用」の格付けサービスは上記に加えて「対人関係」が乗っかってくる

この「芝麻信用」のロジックはブラックボックスだが、「対人関係」においていわゆる優等生にランク付けられている人と多く接している人ほどスコアが高くなるのだ

 

 

20180718付け日経新聞「AI依存どこまで マネー・信用...人生すら」の記事に中国の上海男性の話が下記記述がさらっと載っているがこれは着目すべきだ

「対話アプリは高評価の友人とだけ」

AIのよくわからないブラックボックスのロジックでスコアをあげるために、コミュニケーションをとる相手を絞っていくのだ

これは非常に恐ろしいことではないだろうか?

 

 

日本やその他資本主義国でこのようなデータ活用があるとは思えない(思いたくない)が、、、

善意のエコシステム

電車で座っていると老夫婦がやってきた

私の隣だけが空いていたので席を譲ることを申し出たが、すぐに降りるからと丁寧に辞退された

老夫婦は電車を降りるときに私に「ありがとうございます」といって降りていった、しかも二人ともだ

私は結局席を譲っていないので何もしていないのだが、こんなに丁寧にお礼を言われるとこそばゆかった

 

私は目に見える範囲、手に負える範囲、確実に助けが必要とされていると推測される状況では何かしらの行動をとっているつもりだ

西日本の豪雨に対する募金などもその一環だ

 

 

ここで人間の性かもしれないが、余計な欲求が出てくる

「私はこんなにいいことをしたんだ。誰か私のことを認めてくれ。」という自己承認欲求だ

Youtuberのヒカキンが自身も募金を行い募金を呼びかけて話題になっていたが、特に影響力のない人間が「私は募金をした。偉いでしょう?」と言い出すと少しばかり周りの人は偽善者だと騒ぎ出すのではないだろうか

 

だが、他人にいい人だと思われたいという動機から募金やボランティアを行うことは悪いことなのだろうか

動機がどうあれ結果として誰かの役にたったのならそれでいいのではないか

偽善者であってもその人は実際に行動を起こしているのだから、誰かにとっての救世主だ

何もしていない人がとやかく言う筋合いはないはずである

 

 

この理論を突き詰めていくと「信頼」というポイント制度がつくれるような気がする

現在中国などではサービスを利用する際にその人が今まで信頼を裏切るようなことをしてきたことがないかなどが重要視されるそうだ

この発展系である

普段からよい行いをしている人はサービスや優待を受けやすくなるというエコシステムをITによってつくりだすのである

例えば先の例であれば募金やボランティア活動のたびにその貢献度に対してポイントが加算されていき、ポイントの高い人は日常の公共サービスで優待を受けられるといった形だ

偽善者だろうとなんだろうと誰に対しても善行をおこなうインセンティブが働くことになる

世の中はいい人に溢れ、どんな人も助け合う素晴らしい共生社会が実現する

 

 

 

 

ここまで読んで違和感がある方は「善行」の定義についてモヤモヤしているのではないだろうか

相手が求めていないことをこちらが「善行」だと思って「やってあげる」というのはとんでもないお節介であり、相手にとってはむしろ迷惑になることだってある

私はこの「やってあげる」で非常に痛い目を見たことがあるため非常に敏感である

だからこのブログの最初に書いたように「私は目に見える範囲、手に負える範囲、確実に助けが必要とされていると推測される状況では何かしらの行動をとっているつもりだ」となるのだ

「善行」が本当に「善行」であるかどうかはその行為を受ける

側が本当にその行為を受けて嬉しかったかどうかがわかるまではわからない

そのため、「善行」を実施することはそう簡単ではない

 

 

だが、そのエコシステムが「善行」を受ける側の本当のニーズを詳らかにしたらどうなるだろうか

ニーズが可視化され、それを行うことがほぼ間違えなく「善行」になるとしたら?

BigData/AIによるデータ分析はいつかそんな世界すら可能にするかもしれない