将来本を書くためのネタ帳

93年生まれ、現在ITの営業。 将来、自己満足で本を出したい。興味分野は、政治(公共性)/経済/国際協力/美術/ITなど。政治とIT、政治と美術など組み合わせて考えると面白いのでは?

意識が高いあなたときっと接点のない私

 

最近の私の流行りは大学教員の落合陽一さんの書籍を読むことだ。(※どの肩書きが正しいのかわからないのでとりあえず大学教員としている)

一番直近で読んだのは、ホリエモンとの共著の「10年後の仕事図鑑」という本だ。AIと今後についての持論に同意したり、いやそれは違うのではなど反論しながら楽しく読ませてもらった。

そのまま興味をもったのでTwitterホリエモンと落合陽一さんのアカウントをフォローした。

 

 

私のTwitterアカウントは裏アカウントなどではなく普通のアカウントで、フォローしているアカウントの9割が大学/高校/中学の友人だ。大学時代などは若干意識の高い授業などもとっていたが、そういったいわゆる意識の高い人とSNSで繋がるような関係性にはならなかった。

そうすると自然、私のTwitterのタイムラインに流れてくるのは平々凡々とした日々の愚痴や発見、飲みの誘いなどがほとんどになってくる。そこには激しく自分の意見を主張するような内容や自己研鑽を礼賛するような内容は流れてこない。

だが、これがホリエモンをフォローしたことで世界が変わってくる。

 

自分の読んだ本と、その感想、加えてそれに対して自分はどう動くかについての熱い思想を織り交ぜた熱い140文字がこれでもかとリツイートされてくる。さらに、ホリエモンのフォロワーになったからなのかわからないが、「起業」「日本をかえる」などの熱いプロフィール文の書かれたアカウントからフォローリクエストがくるようになった。

 

 

温度差に驚きすぐにホリエモンのフォローを外そうかと思ったが思いとどまった。

理由は下記二つだ。

1. なぜ、私がこのいわゆる「意識の高い」ツイートに耐性がないのかがわからず、そこに興味をもったから

2. 本来、誰しも自分の意見を持っているはずであり、それを純粋にツイートをしているだけで避けるべきものではないのではと考えたから

 

だが、ホリエモンフォローから1週間ちょっとも経ってくるとだんだん考えもまとまってきた。

 

1. なぜ、私がこのいわゆる「意識の高い」ツイートに耐性がないのかがわからず、そこに興味をもったから

私の定義としては「意識の高い」ツイートの定義は下記だ。

「起業」のような一個人が達成するにはハードルの高い目標、もしくは「日本を変える」など漠然としているが壮大な目的意識に対して、自分の行動力や熱い想いで実現させてやるという宣言もしくは願望を含むツイート

※もちろん「意識の高い」ツイートの定義は人によって異なるだろうから違った際にはこういう捉え方をしているのだと納得いただきたい。

私はこの「意識の高い」ツイートを見ると、一歩引いてしまうという拒否反応がある。すなわち、耐性がない。理解しがたい異文化に遭遇したイメージだ。

この拒否反応の根本を探ってみたところ、私がフォローしている9割を占める友人のうちの一人が原因だったという結論に至った。

 

その彼は非常に高い目的意識を持っており、それに対する行動力も(Twitterを見る限りは)すごいように見受けられる。そして、自分を鼓舞する内容のツイートも織り交ぜられており、私の中では見事な意識高いアカウントだった。それに対して私は拒否感をもったのだった。

理由は整理してみると目的と行動力に関する二点だ。

・非常に高い目的意識の'目的'が抽象的でよくわからない

→何かすごく頑張っているようなのだが、一体どういった目的に対して実施しているのかがわからない。そこに対する説明をしているツイートもあったが抽象的すぎていまいちよくわからない。

・行動力をTwitterで誇示する理由がわからない

→そもそもこの一週間で何をした、著名人にどれだけあったなどを報告されても、受け手としてそこから何を読み取ればいいかがわからない。普通のTwitterアカウントであれば、ここはある程度甘受される領域だが、意識高いアカウントというコンテキストでみるとよくわからない自己ブランディングに見えてしまう。

→また、上記の'目的'がはっきりしていないがゆえにその行動がどういった目的に対する行動なのかがよくわからない。

→熱い想いというよりもはや自分はすごいことをしているというマウンティングもしくは自己満足をぶちまけているようにしか見えない

 

上記二つの理由で彼の意識高いアカウントに対して耐性がなくなり、現在久方ぶりにホリエモンを通じて触れた意識高いアカウントにも拒否反応をおこしているのだと思う。

 

この拒否反応をなくすためには、目的意識が具体的にどこにあり、つぶやいている行動がその目的意識に対してどうつながっているかを知る必要があると考えた。だが、大量にやってくる意識高いアカウント群それぞれの背景を取りに行くコストはあまりにも大きすぎるし、何よりも自分にどのような利があるのかが見えてこない。

 

例.

ツイート「この本に感銘を受けた。俺も日本を変えてやるぜ」

→ツイートをおこなったアカウントもとに行き、プロフィールや過去のツイートなどからどのような事業をやっている/やりたいのかを確認のうえ、その本がその人にどのようなコンテキストで感銘を与えているのかを確認する。そうするとツイートの内容に対して拒否反応がなく入ってくるが、所詮は赤の他人であり、その人がどのようなことをしようとしていようが自分には関わってこない可能性が非常に高い。

 

 

2. 本来、誰しも自分の意見を持っているはずであり、それを純粋にツイートをしているだけで避けるべきものではないのではと考えたから

観点を少し変えてみよう。

自分の意見は誰しも持っているが、よく言われるように日本人の特性(?)であまり自分の意見を主張しようとはしない。それゆえ、日常生活で意見が真っ向から対立することはなく、波風の立たない着地点に落ち着く。(日系企業だと仕事上でもそういうことがある,,,?)

意識高い系アカウントは自分の意見や考えを前面に出してくる印象が強い。この意見が前面にでることに対する拒否感もあるのではないかと考えたが、立ち止まった。

なぜなら、誰しも自分の意見は持っているはずで今回たまたま主張を前面に出してくる人がでてきただけで、その人をシャットダウンするのは非常におかしい話なのではないかと考えたからだ。主張をする人=うるさい人=意見をきくべきではない人の構図が私の中で出来上がってしまっているのではないかという懸念だ。

 

だが、さらに私は下記の観点でさらに考え直した。

そもそも求められていないテーマの主張が見境なくとんできたら避けたくなるし、避けるべきなのではないかというように考えたのだ。

私は意識の高いアカウントAさんの実現しようとする理念や目的意識について特に関心はないのに、Aさんの激しい主張が毎日のように入ってきたらどうだろうか。ノイローゼになるのではないか。そもそも1で触れたように目的意識すらわからないままで主張だけとんできてもとても理解はできない。

 

例.

ツイート「これを20代はみんな読むべき。そもそも若い層の日本人は将来について考えていなさすぎだし、このままじゃ日本はダメだ。」

→この主張を読み解くにはやはり1で触れた目的意識の確認が必要だし、わかったところで自分の興味のない分野で繰り広げられている言論で、この主張が是か否かをいちいち確認していたのでは身がもたない。

 

 

非常に長くなったがまとめると下記だ。

1. なぜ、私がこのいわゆる「意識の高い」ツイートに耐性がないのかがわからず、そこに興味をもったから

→目的意識がわからない、行動がどうつながっているかわからない。自己満足に見える。そのため、耐性がない。

2. 本来、誰しも自分の意見を持っているはずであり、それを純粋にツイートをしているだけで避けるべきものではないのではと考えたから

→興味のないテーマで繰り広げられる主義主張を目的意識から紐解いてやっていくのは手間暇がかかりすぎてしまい、自分に利する可能性も低いため、避けても良い。

 

 

 

 

ここまで長々と書いてきて言いたかったことは、実は、政治に関してだ。

 

意識高い系アカウントに対する考え方についてを特に起業家などそっちの方面を中心にまとめてきたが、意識高い系アカウントには政治系のテーマも含まれている。そうなった時に上記の1,2の観点での考え方に至ってもよいのだろうか。

 

政治について考える時も目的意識「日本をどういう国家にしたいのか」からはじまり、「そのために解決すべき課題はなにか」「各政党が提示している解決策はなにか」「それに対して支援できる政党はなにか、それはなぜか」と繋がっていく。だが、それもTwitter上では断片的な情報しかでてこないので、その人の発言の背景を知る必要がでてくる。

 

そして、興味のないテーマだからといって切って捨ててよいのだろうか。どうせ自分の一票は世界になんの影響も与えないからといって選挙にいかなくてもよいのだろうか。本来民主主義とは全員が参加するべきだが、今や政治の話は日常でするのはあまりにもタブーなテーマになりすぎているような気もする。