人生の生産性/効率性をあげてみよう、何を失うだろう。
生産性をあげるというのは企業、ひいては一会社員にとって非常に重要だ
生産性の悪い非効率的な業務は指標上は企業における害であるし、そういった人は使えない存在としてより効率的な人材に代替されていく(もちろん様々な指標があるので一概には言えないが)
では、生産性をあげるためにはどうしたらよいだろうか。
通常、企業であれば目標と現状のGAPの分析を行い、そのGAPを埋めるために現行の作業をどう変えていくべきかをマイルストーンを置いて改善していく
これは別に企業/一会社員としてだけでなく、私生活に持ち込んだとしてもそこは重要なように思う
私は自分のやりたいことを大項目Work/Hobby/Othersとして中項目,小項目に落とし込み、今年度に実施したいことは週ごとのプラン、来年度以降にもわたるものは長期目標をおいて大まかなマイルストーンをおいている。抜け漏れなく持続可能で効率的な人生プランだ。
この話を周りに話すと「私生活まで仕事みたいだね」といわれ引かれてしまうのが目に見えているが、私としてはこの生き方で満足しているから問題はない
さて、今回のテーマはこの生産性/効率性と美術に関する話だ。
私は最近下記のような本を書店でよく見かける
「世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」」
私自身ほかの国のいわゆるエリートとそこまでこういった話をしたことがないので、この本の真偽のほどはわからないが、「教養としての」といった冠がついた似たような美術史に関する本がいくつもあるのである程度は必要なものとして共通認識があるのだろう
世界史/日本史については会話をする上での前提条件、さらに深い/人間としての教養があるということになると美術への造詣が必要になる、とこういったところだろうか
上記の教養には二つの観点があると考えている
1. 美術史に対する知識
2. 実際に名画にふれた経験
1については全会一致で賛同を得られるだろうが、「2もないと本当の教養とは言えない」という人も一定数はいるだろう
そのため、手っ取り早く教養をつけるためには、1の会得をすぐに実施することが必要だが、2についても実施し自身の教養について誰にも何も言わせないというためには少し時間がかかってしまう
だが、この2に関してすら効率化できる可能性があると考えている
すでに1930年代に独の思想家ベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」にてふれているような内容であるが、世の中には芸術作品の複製が溢れかえっている。2018年の今では複製の技術は更に高度化しアウラは複製のものにも宿るのではないだろうか、と言わんばかりの勢いである
だが、更にここから技術は加速し、新しい観点を提供する。VRなどの技術だ。もはや複製をつくるのではなく、人間側の五感に直接そのイメージを届けるような世界が近い未来実現されていくのではないだろうか
そうなった時、私たちが「実際に名画にふれた経験」を定義するのは何をもってなされていくのだろうか。拡張現実による名画とのふれあいがそのまま「実際に名画にふれた経験」となるのであれば、それは効率的この上ない。世界に点在する名作の数々を1日やそこらでふれることができる。
「プーシキン美術館に実際には簡単にいけないけれど、次の展覧会にはついにアンリルソーのあの絵が来日するそうだ。やっと観れる」などといった非効率的な絵画鑑賞の時代は終わるかもしれない
私たちはこの効率的な世界をどう定義するだろうか。素晴らしい世界だろうか。
遠い未来に今を振り返ったときに、私は「非効率的な芸術鑑賞だ」と思うのだろうか。